今回の記事から、弊社所属の山崎寛子へのパーソナル・インタビューを4回に分けてお届け。まず第1回となる今回は、山崎の音楽的ルーツや音楽作家になるきっかけなど、主に過去を振り返ってのエピソードをご紹介します。
――まずは山崎さんが、初めて音楽に触れたきっかけからお聞かせください。
山崎 幼稚園ぐらいの頃に母に連れていかれた、町のピアノ教室がいちばん最初だったと思います。私が住んでいた田舎のほうにしては珍しく「東京藝術大学出の先生!」みたいな触れ込みで……そこに母が飛びついたんですよ(笑)。
――山崎さんが元々「やってみたい」と言っていたわけではなくて?
山崎 はい。
「いい先生いたよ!」みたいにミーハーな感じで(笑)。ただその教室の先生が、すごく優しい先生で。子供って、ちゃんと練習してレッスンに行かないものじゃないですか? でも、初見で弾いているのがわかっていても怒らずに見守ってくれているぐらいだったんですよ。だから本当に“第二の母”みたいな気持ちで慕って、ずっと通っていました。
――「ずっと」というと、どれぐらいの期間?
山崎 大学卒業まで、20年近くです。たぶん、あの教室じゃなかったら続かなかったと思います(笑)。さすがに発表会前の1ヶ月ぐらいは、子供なりの見栄とかもあってかめちゃくちゃ練習していましたけど、それ以外は練習せずに行く子供だったので。
――弾く曲は、その先生が選んで?
山崎 いや、小1ぐらいから、提案してくれた曲の中から選ばせてくれました。特に中学に入ってからは、好きな曲ばっかりやらせてもらっていて。
――どんな曲を選ばれたんですか?
山崎 小6のときにショパンがすっごい好きになっちゃって、もうショパンばっかり(笑)。しかも「幻想即興曲」みたいにみんなが知っているような、派手でわかりやすく目立つメジャーな曲ばかりを選んでやっていました(笑)。たぶん純粋に小学生として、ドラマティックな曲に感動して、好きになっちゃったんだと思うんですけど。
――逆に聴く側としては、小さな頃好きだった曲やアーティストさんは何でしたか?
山崎 初めて買ったCDは、安室奈美恵さんの「Body Feels EXIT」でした。SPEEDとか安室ちゃんが流行っていたので本当に好きでしたし、中学に上がってからはもう、浜崎あゆみさんが大好きで。たぶん人生でいちばん好きになったのは、浜崎あゆみさんです(笑)。好きすぎて化粧品も真似して買ったり、カラオケでも6時間ぐらい歌い続けたり……。
――中学・高校の頃ってありますよね、カラオケでフリータイム入って……。
山崎 まさにそれです! それこそ6時間中4時間はあゆを歌っているような感じでした。なので、たまに私が歌った曲を聴いて「ちょっとあゆっぽいね」みたいに言ってくれる方がいたときには、「やっぱり、ちょっと影響されてるのかな?」という気持ちになります(笑)。あと、中学生の頃はその他にも、女性ソロシンガーばかり好きだった気がしますね。カラオケで歌いたくなるからというのもあったかもしれないですけど、aikoさんとか大塚愛さん、あとは中島美嘉さんに宇多田ヒカルさんとか……。
――そんななかで、音楽を仕事にしようと意識したのはどんなタイミングでしたか?
山崎 大学3年終わりの、就活が始まる頃でした。私、それまでは「音楽やりたいなぁ」という気持ちはずーっとあったのに、違うものを選ぶ人生を送ってきていたんです。例えば、中学ではコーラス部が気になっていたのにバスケ部に入ったし、大学も「オーケストラサークルとかジャズ研いいなぁ」と思っていたのに、やっぱりバスケ部に入って……だから就活のときも「普通に就職するのが当たり前だ」と考えていて、音楽とは関係ない会社に就職するつもりだったんです。
――固定概念のようなものがあったというか。
山崎 まさに。「この人生ではバスケとか勉強をして就職しよう。で、生まれ変わったら音楽をやろう」とずーっと思っていたんですよ。もちろん生まれ変われるかなんてわからないし、仮に生まれ変われても記憶もたぶんないだろうし……というのは、知識としてはわかっていたんですけどね。でもそんななかで、いちばん仲のいい友達が突然「ピアニストになる」と言い始めたんです。真面目な大学だったので自由な選択肢を選ぶ人がまわりにあまりいなかったんですけど、その話を聞いたときに「この人生でやるしかないか」と就活をやめたのが、最終的なきっかけでした。
――やりたいけど二の足を踏んでしまっていたというか、本腰を入れることへの怖さもあった?
山崎 たぶん無意識に、そうだったんだと思います。それに、私の周りでは音楽を本気でやっている人があまりいなかったので、なんだかフィクションの世界のことのように見えていたといいますか……「音楽を本気でやる」という発想がそもそもなかった、というのもあったかもしれません。
――ではその後、実際に音楽を仕事にされるためにどのように動かれたんでしょうか?
山崎 最初はどうしたらいいか全然わからなかったので、いろいろ調べた結果、最終的には音楽の専門学校に行く形で上京しました。でも親には言えなくて、内緒で専門学校に進もうとしていたら、兄がこっそり説得してくれていて(笑)。
――わー、すごい!
山崎 あるとき兄に「就活どうしてんの?」と聞かれたんですけど、「もうやめた。音楽やりたい」みたいに答えたら、さすがに「えっ」となったみたいで(笑)。それでこっそり専門学校を探していることを話したら、それを親に言いつつ説得してくれたみたいで……おかげで親も折れて応援してくれたので、実は今こうして活動できているのは、兄のおかげなんですよね。
第2回は、専門学校に進学してからPOPHOLICに所属して初仕事に至るまでのエピソードや、山崎が創作時に意欲を高めるためのある“モノ”について語ってもらっています。次回もどうぞ、お楽しみに!
山崎寛子Profile
山崎寛子(やまさきひろこ)シンガーソングライターとしての持ち前のメロディーセンスと、言葉の選び方に定評があり、堀江由衣、喜多村英梨、小倉唯など多くの女性声優、アーティストの楽曲を手がける。近年では楽曲提供だけではなく、人気アプリゲーム『白猫プロジェクト』の楽曲では、歌唱・作詞・作曲・編曲の全てを担当し、透明感のある歌声も披露している。
インタビュアーProfile
須永兼次(すながけんじ)。群馬県出身。中学生の頃からアニメソングにハマり、会社員として働く傍らアニソンレビューブログを開設。2013年にフリーライターとして独立し、主に声優アーティストやアニソンシンガー関係のインタビューやレポート記事を手がける。
Twitter:@sunaken
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