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河合英嗣パーソナル・インタビュー【第1回】多彩なワークスにつながる音楽的ルーツ

今回の記事から、弊社所属の河合英嗣へのパーソナル・インタビューを4回に分けてお届け。まず第1回となる今回は、河合が音楽を始めたきっかけや幼少期・学生時代に触れた音楽、さらにはかつて参加していた音楽ユニット・BIIRにまつわるエピソードをご紹介します。

――まずは、河合さんの音楽的なルーツからお聞きしたいのですが。

河合 たしか3歳ぐらいの頃かな? 『ザ・ベストテン』で原田真二さんを観て「ピアノを習いたい」と言い出したみたいで。それでピアノを始めたのが、最初でした。そもそも母も結構音楽が好きで、安全地帯とかをよく聴いていたので、日常の中に普通に音楽はあったんですよ。ただ、ピアノのレッスンに通ってはみたものの……半分寝ていまして(笑)。

――寝られるということは、グループでのレッスンだったんですか?

河合 いや、個人です。弾きながら完全に寝落ちしたりして、よく叩かれてました(笑)。そんな状態だったので小3ぐらいでやめちゃって、野球とかサッカーをやるようになったんですよ。でも、音楽が嫌いになったわけではなかったですね。変わらず『ザ・ベストテン』は観ていましたし、ワム!とかカルチャー・クラブ、あとはデュラン・デュランとかも好きで結構聴いていました。

――ちなみに、最初に買った音楽ソフトはなんでしたか?

河合 風見しんごさんの「涙のtake a chance」のシングルレコードでした。とにかくテレビを観るのは好きだったので、欽ちゃんのバラエティ番組を通じてとっつきやすかったのもあったんだと思うんですけど。

――しかもあの曲はブレイクダンスもかっこいいし、日本にブレイクダンスが広まるきっかけになりましたから。

河合 そうですね。あのシングルレコードって、中にブレイクダンスの踊り方の図解が絵で描かれてたんですよね。……ダンスのほうは、やらなかったんですけど(笑)。

――ただ、音楽にはその後再びのめり込んでいくわけですよね。

河合 はい。中学に入ってからは毎週レンタルレコードを借りるようになりましたし、バンドブームもあったので洋楽・邦楽を問わず聴きまくっていました。あと、当時のNHK-FMは事前に何の曲がかかるかがわかっていたので、アルバム1枚丸々流してくれる番組をタイマー録音してマイケル・ジャクソンとかを聴いたり……。

――特に中高生の頃はお金もないので、ラジオのエアチェックは重要ですよね。

河合 しかも、友達がレンタルしてきたレコードを僕の家のコンポでダビングするのが定番になっていたので、僕が直接興味のなかったような曲もそのとき聴いたりしていて。兄がバンドでギターをやっていた影響もあって、特に中学生になってからは結構しっかり音楽を聴いていたと思います。

――そこから、もう1回音楽をやる側に回るまでには、どんなきっかけがあったんですか?

河合 その兄から、僕が中3のときにいきなり「ライブを観に来い」と招待されたことだと思います。そのライブがお客さんこそガラガラだったんですけど、全身で浴びる音からライブハウスの照明まで今までテレビの音楽番組とかで感じたものとは全然違っていて、すごく衝撃を受けて……それがきっかけになって、地元でバンドを始めました。

――それは、のちにデビューされるBIIRとは違うバンドですか?

河合 はい。そのときは、現在も兄弟共にプロミュージシャンとして活躍しているドラマー野崎真助とベーシスト森男の二人とバンドをやっていたんです。でもそのバンドが解散したうえに彼らがスタジオミュージシャンを目指して上京しちゃって、メンバーがまったくいなくなってしまって……。

――そのあとは、どう音楽を続けられたんですか?

河合 金沢って音楽人口も少ないので、「これはもう、打ち込みでやろうかな」みたいに考えて、まず打ち込みを覚えました。お世話になっていた楽器屋さんに頼まれて、イベント用の演奏の手伝いとしてドラムを打ち込んだりとかいろんなことをやっていって……そのときそうやって触ることができたおかげで、今も打ち込みサウンドの仕事をできていると思っているんですけど。そんななかで、元々バンドものからポップなものまでいろんなロックを聴いてきていたのもあって、「ボーカルとギターふたりの編成で打ち込みなら、結構自由になんでもできるかな?」と考えて結成したのが、BIIRだったんですよ。

――そのBIIRの活動のなかで、特に印象深かったことはなんでしたか?

河合 なんだろうなぁ……デビューが決まって上京してからは、とにかくレコーディングと楽曲制作と、あとは取材……とすごく忙しくしていて。あまりライブをできなかったんですよね。逆にデビュー前は、20曲ぐらいやるワンマンライブを月イチでやっていたぐらいなのに(笑)。そのライブのために毎月4曲とか新曲を勝手に作って、できたてをそのまま垂れ流す……みたいな感じだったんです。

――当時の制作環境で月4曲というのは、スケジュール的にハードだったのでは?

河合 大学に行きながらの活動だったので、ほとんど寝ていなかった気がします(笑)。でも本当にスポンジのように、新しいものを聴いては「こんなのがあるんだ!」ってインプットしてすぐ吐き出す……みたいなことを繰り返していましたね。たとえば「ラテンっぽいものがかっこいいな」と思えばラテンっぽいものに取り組んでいたし、ジャズっぽいものにも取り組んだし……本当に広く浅くではありますけど、完全にそれが、今につながっているんだろうなという気はしています。

第2回は、河合が職業作家として活動を始めた頃のエピソードや、彼の作家活動におけるターニングポイントとなった出来事などについて語ってもらっています。次回もどうぞ、お楽しみに!

Profile

河合英嗣(かわいえいじ)。地元金沢で結成したVo&ギターユニット「BIIR(ビーツーアール)」で98年東芝EMIよりデビュー。 解散後、作詞・作編曲のコンポーザー活動を中心に、ギターリストとしてREC、LIVEと幅広く活動中。ROCK、ヘビメタなどのダンスミュージックなど様々な楽曲をPOPでスタイリッシュに作り上げる。

インタビュアーProfile

須永兼次(すながけんじ)。群馬県出身。中学生の頃からアニメソングにハマり、会社員として働く傍らアニソンレビューブログを開設。2013年にフリーライターとして独立し、主に声優アーティストやアニソンシンガー関係のインタビューやレポート記事を手がける。
Twitter:@sunaken

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