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神谷礼パーソナル・インタビュー【前編】~求められる要素を汲み取りつつ、自分の興味を楽曲に落とし込む~

今回の記事から、弊社所属の神谷礼へのパーソナル・インタビューを、前後編に分けてお届け。まず前編となる今回は神谷の音楽的ルーツから、彼の仕事の中から作曲にまつわる部分にフォーカスしてご紹介。今に繋がる学生時代の経験や、音楽作家としての大きなターニングポイントとなった時期など、これまでの足跡を振り返っていきます。

【打ち込みのキャリアは中学時代から!? 音楽作家になるまでのルーツをたどる】

――まずは、神谷さんが小さい頃に好きで聴いていた曲や、アーティストなどについてお聞きしたいのですが。

神谷 礼 小さい頃は「このアーティストが好き」みたいなものはあまりなくて、単純に『ポケモン』とか『デジモン』のアニメを観て、その音楽を聴いていたような感じでした。たしか僕が小1~2ぐらいのときに『ポケモン』のアニメが始まったので、「めざせポケモンマスター」のCDも持っていましたし、ゲームも同じ頃に買った記憶があります。

――その他、アーティストさんのCDとかはあまり買わなかった?

神谷 そうですね。上の兄弟がいたので、MAXとかSPEEDとかが流れていた記憶はあります。

――ということは、意識的にアーティストさんの音楽を聴くようになったりCDを買うようになったのは、もう少しあとなんでしょうか。

神谷 そうかもしれないです。中学に入ってギターを始めたぐらいから、東京事変とかBUMP OF CHICKENとかは聴いてましたね。そういうところからの影響も、今作っている楽曲に、少なからずあるかもしれません。

――逆に、ギターを始めたのはそういった音楽がきっかけで?

神谷 いや、兄がバンドをやって歌っていたのが、一番大きかったと思います。あと、親戚にもそういう人がいたのか、家にエレキギターが置いてあったんですよ(笑)。それで、たしか中学校の文化祭か何かで「やろう」となって、始めたんですよね。

――それも、バンド編成のような形で?

神谷 はい。でもボーカル1人とギター2人で、後は音を流して……みたいな感じで。そのときはドラムとベースがいなかったので、打ち込みのソフトを買いましてて(笑)。BUMP OF CHICKENの曲を、譜面を見ながら打ち込んだ記憶があります。

――そのときに、もう打ち込みをされていたんですね。

神谷 そうですね。僕、小学校からめっちゃパソコン世代だったんですよ。しかも適当な中古のデスクトップPCを買って、ハードディスクを替えたりもしていて(笑)。

――ガチじゃないですか(笑)。

神谷 でもやっぱり当時のスペックだと、激重だった記憶はありますね。使っていた音源も、元々入っていただいぶアナログな感じのものでしたし……そういうふうに、音源自体の質も、今使われているようなものとは全然違っていたような気がします。

――それがきっかけで、音楽を本格的に始められたんですか?

神谷 いや、その文化祭の後もそんなに音楽をやる気はなかったんですよ。ギターもたまに弾くぐらいでしたし、打ち込みで曲を作っていたわけでもなくて。でも高2のときに、同じ高校の人づてで外部の人のバンドに途中参加することになりまして。それがみんな曲を持ち寄るようなバンドだったので、そのときからオリジナルを作り始めたんだと思います。ちょうどその頃、深夜アニメがすごく面白くてハマり始めてもいたので、「商業的な感じがいいな」って、もしかしたらそこから影響を受けてもいたかもしれません。

――アニメにハマったのは、その中学・高校の頃なんですね。

神谷 はい。ただ上の兄弟がいたので、小学校~中学校ぐらいで『エヴァ』を観てはいたんですよ。あと小学校のとき『カードキャプターさくら』にすごくハマっていて、女の子とすごく喋っていた記憶があります(笑)。だからOPテーマの「Catch You Catch Me」とかは、結構聴いていましたし。そういう流れがあったから、高校の頃からアニメに対しても割とすんなり入っていったんだと思います。しかも僕が高校生のときって、ちょうど『涼宮ハルヒの憂鬱』が流行った時期なんですよ。あの作品って、音楽もすごくいっぱいあるじゃないですか?それを耳コピしたこともアニソンから大きな影響を受けた最初の出来事でしたし、あの頃アニソンの譜面って全然なかったので、全部耳コピしていたという経験も今に生きているような感じがします。

――その当時は、今と違ってアニメやアニメ好きへの偏見も強い時代でしたが、神谷さんは今の若い方のようにフラットに、他の趣味と同じようにとらえられていたんですね。

神谷 そうですね。特に何も考えてないだけかもしれないですけど(笑)、普通に「面白いものは観て楽しむ」という感じでした。それはアニメだけじゃなくて、例えば当時だと、韓国ドラマもすごく観てましたし。

――最初のブームの頃ですか?

神谷 そうですね。『冬のソナタ』とか、そのあとぐらいとか。あのシリーズは観たりしていました。

――そんな学生時代を経て、今度はお仕事として音楽に携わられていきます。

神谷 実は僕、あまり「仕事にしたい!」と強く考えていたわけではないんです。でもそんななかで転機になったのは、20歳ぐらいのときに、さっきお話したバンドをやめたことかもしれません。僕、バンドはそれぐらいしか経験していないんですけど、だんだん「人に曲を書くほうが手っ取り早いな」と思うようになって。

――「手っ取り早い」ですか?

神谷 そう。もしかしたら冷めていたのかもしれないですけど(笑)、「そのほうが、いろんな人にいろんなタイプの曲を書けるだろうな」と気づいたんですよ。その頃は、他に音楽活動している人の曲を手伝ったりもしていて……20~21歳過ぎぐらいから、僕はライブの手伝いでたまにギターを弾くぐらいで、自分自身としての音楽活動は全然していなかったんです。ただ、そういうお手伝いをしていくなかで、僕自身の動きというよりはまわりで音楽をやっていた人からの繋がりでお仕事をいただけるようになって、それがさらに繋がって今に至る……という感じかもしれないです。

――最終的にPOPHOLICに所属する、きっかけとなった繋がりは何だったんですか?

神谷 TNXというつんく♂さんの会社の方の紹介でした。そもそもその会社と関係ができたのも、元々同じバンドのメンバーだった人が音楽活動を続けていて、その方からの紹介の紹介……みたいな感じだったんですよ。いろんな方を経由しているので、自分でも細かいところはよくわからないんですけど(笑)。でもそうなるまでに、「ちょっとしたトラック作って」とか「音源作って」みたいなことはちょこちょこやっていた気がします。

――それも、ロック系のサウンドが多かったですか?

神谷 どっちかというと打ち込み系でしたね。ライブで使うOPのSEとかを作っていたら、たぶんその方が「曲作れるから」ってPOPHOLICに紹介してくれたんだと思います。

――所属後、最初のお仕事ってなんでしたか?

神谷 最初は『ぷちます!』のPu-Ru-Ru」というキャラソンで、それは関わって2~3ヶ月ぐらいで決まっていた気がするんですけど……そのあとは1年ぐらい、お仕事が決まらない時期がありました。

【神谷の音楽的興味を広げ、楽曲制作の幅を広げた転機となった仕事とは?】

――その時期を経て、手掛けられる作品数が増えてきたのはいつ頃でしたか?

神谷 それから3~4年ぐらい経った頃から、ちょこちょこコンペにも通るようになってきました。それは、ゲームのBGMのお仕事をやらせていただけるようになってからな気がしています。

――『魔法使いと黒猫のウィズ』や『白猫プロジェクト』などですか?

神谷 そうですね。それが2016~17年ぐらいだったと思うんですけど、すごくゲームBGMを作っていた時期があって。その割には意外と歌モノの曲も順調に世に出せていけていたんですよ。

――ゲームのBGMとなると、求められる要素も多岐にわたるじゃないですか?そういったものならではの大変さも、やはりあったのでしょうか。

神谷 はい。全然やったことのないジャンルばかりにいきなり挑戦するので……それこそ、音源を揃えるところからのスタートなんですよ(笑)。でも元々耳コピして打ち込む習慣があったので、あまり特別意識することもなく。曲を作るにあたっていただいた参考曲やそれに近いジャンルの曲をいっぱい聴いて、ちゃんとインプットの時間もかけながら、1曲ずつ作っていっているつもりではあります。

――やったことのないジャンルというと、例えばオーケストラサウンドなどですか?

神谷 それもですね。でも今思うと、そこには韓国ドラマを観ていた経験が役立っているかもしれないです。韓国ドラマってクラシックがよく使われるので、そこで得たエッセンスが無意識的に頭の中に残っていたかもしれないといいますか(笑)。

――なるほど! その経験がここで繋がってくる。

神谷 少なからず、ある気はしています(笑)。

――その他にも、今まで触れてきたものが不意に生かせる瞬間がでてきたことも、結構ありますか?

神谷 ありますね。例えば僕、割と踊れる曲のほうが好きで。だから最近はK-POPの曲も好きで、自分が作る曲も半分ぐらいはギターを使わない、4つ打ちみたいなものになってきているんです。それは小さい頃に、家でMAXとかを聴いていた影響がうっすらあるかもしれないですね(笑)。ただ逆に、基本的には自分が興味を持っていないと全然いいものにならないので、興味のないジャンルだといざ挑戦しても全くできないかもしれません(笑)。

――ご自身の興味と求められるものをすり合わせて、1曲ずつ丁寧に突き詰められているような感じなんですね。

神谷 はい。だから自分の趣味を出せるところは、思いっきり出しちゃっていると思います。

――最近だと、どういった曲にそういったものを出されましたか?

神谷 そうですね……やっぱりK-POP系の曲のときとかは、メロの感じやグルーヴ感に、そのとき聴いていたような曲のエッセンスが反映されているかもしれないです。

――例えばi☆Risの「Spending」のような曲などですか?

神谷 あー、そうかもしれないです。あの頃もああいう曲にすごくハマっていて(笑)。そういう曲も含めて、やっぱり僕は「そのときに興味があるもの」がスタートになっちゃっている気がします。

――主題歌モノでも、キャラソンでも。

神谷 そうかもしれません。王道だとそこまで自由にはやれないですけど、逆に自由な部分がある曲では、思いっきりやっているかもしれないです。逆に王道曲のときは、自分がプラス思考というのもあって、曲や作品ごとの要素を汲み取ったうえで“夢”と“希望”を自分がいいと思える形で組み込むようにしています。

――そういったご自身の興味を詰め込んだ楽曲への、反響を感じる機会などはありますか?

神谷 ライブにご招待していただいたときに、ファンの皆さんの盛り上がり方を観たりするときでしょうか? だからライブに行ったらステージ以外にも、お客さんを観ている時間のほうが多いかもしれないですね。提供曲ってライブでの反響ありきで作っているようなところもあるので、「どういう曲で、どういう反応してるか?」みたいなものは、自分が提供した曲以外でもざっくり観ている気がします。

――ご自身の提供曲で、「こんなに盛り上がってくれるとは!」みたいに、制作時の想像を超えていたものってありました?

神谷 なんだろう……あ、小倉唯さんの「ガーリッシュエイジ」かな?あの曲はシングルのカップリング曲でアルバムにも入っていないのに、ファンの方々の間で人気みたいで。ライブに行くと毎回やってくれているので、本当にありがたいなぁと思っています。

後編では神谷の楽曲制作における作詞の話題から、また違った彼の音楽的ルーツを紐解いていきます。また終盤では、今後取り組みたい仕事についても語ってもらっていますので、次回もどうぞお楽しみに!

【Profile】

神谷礼。中学生の時、兄の影響でギターを始め、高校の頃からバンド活動をスタート。
活動していたバンドが解散し本格的に作曲家を志す。
その後プロのアレンジャーのもとで曲作りを教わりながら、アイドルの曲やSEなどを制作し様々な音楽を学ぶ。
基本的に日本のロックやアニソンを軸とし、アニメやドラマ等からインスピレーションを得て音楽を創作。

【インタビュアーProfile】

須永兼次(すながけんじ)。群馬県出身。中学生の頃からアニメソングにハマり、会社員として働く傍らアニソンレビューブログを開設。2013年にフリーライターとして独立し、主に声優アーティストやアニソンシンガー関係のインタビューやレポート記事を手がける。
Twitter:@sunaken

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