全4回に分けて掲載中の、弊社所属の河合英嗣へのパーソナル・インタビュー。第2回となる今回は、河合の職業作家としてのスタート、そしてターニングポイントにまつわるエピソードを中心にご紹介していきます。
――2回目となる今回はまず、残念ながらBIIRが解散してしまったあとのお話からお聞きします。作家としてやっていこうと決断されたのは、そのタイミングだったんですか?
河合 いや、最初はまた新しいバンドなりをやろうと思っていたんですよ。でも当時のマネージャーに、「英嗣は作家になりなよ」と言われまして。そのときは、自分たちで曲を書いて演奏することをメインにしながら、そのなかで誰かに楽曲提供という形しか考えていなくて。もちろん作家さんという方々がいらっしゃることはわかっていましたけど、あまり注目して見てはいなかったんです。ただ、そのあと少しだけ楽曲提供の機会をいただいて、そのなかで「こういうスタイルもあるのか」と理解したような感じでした。
――さらにその後、POPHOLICに所属するきっかけは何だったんでしょうか?
河合 僕が本当に何も活動できていなかったときに「男性アーティストの作詞コンペが急にある」という情報が舞い込んできたので、何が何でも飛びつきたくなって。土日で2曲ぐらいムリヤリ僕も作詞コンペに出したんですよ。その歌詞はコンペには残ったものの曲自体はお蔵入りになってしまったんですが、それが今の社長の目に止まって「会いたい」と言ってくれて……当時はまだ会社がPOPHOLICになる前の、MIT STUDIOの制作の一部だった頃でしたね。
――ということは、作家生活は作詞家としてスタートされた。
河合 そうなんです。で、そこから「曲も書きます」「アレンジもします」「ギターも弾きます」みたいにいろいろやって、コンペにも山のように曲を出して……何もなく(笑)。最初の頃は、そんな日々を続けていました。
――ちなみに、コンペに最初に通った曲はなんでしたか?
河合 えーっと……結構あとなんですけど、「黄色いバカンス」まで飛んじゃうかもしれない。でもその前に、事務所に依頼の来たキャラクターソングのお仕事はちょっとずつさせていただいていたんですよ。たとえば『金色のガッシュベル!!』とか……所属してから最初の仕事はさらに少し前で、『キディ・グレイド』の主役ふたり、永田亮子さんと平野綾さんそれぞれのキャラソンの歌詞でしたね。ただ当時は“キャラソン”というものもよくわかっていなかったし、発注も今とだいぶスタイルが違ったんですよ。たしかあのときは台本もなく、絵だけで「そのキャラクターをイメージして書いてください」、みたいな発注だった気がします……。
――しかも、キャラソンの作詞自体が初めての分野のお仕事だったと思うのですが、どういうところから解決していこうとされましたか?
河合 とにかく必死に(笑)、わからないなりに言葉を絞り出しまして。なんとか作品世界やキャラクターを理解しようとしながら、1曲の歌詞を仕上げようと必死だったような気はしています。
――そんななかで、勘が掴めたような時期はいつ頃だったのでしょう?
河合 作詞の部分で言うと、『ぱにぽにだっしゅ!』の「ルーレット☆ルーレット」ですね。あれはすごく、自分でも印象に残ってる歌詞なんですよ。いい意味でふざけられたといいますか……(笑)。それまでは青春モノとか硬派な曲が多かったので、あれが最初にはっちゃけた曲だったと思います。でもそれは、先に「黄色いバカンス」の「なんじゃこれ!」っていうぶっ飛んだ歌詞があったからで。その次ということで、気持ちも楽に書かせていただきました。
――その「黄色いバカンス」が、河合さんが作曲したなかで初めてコンペに通った曲なんですよね。
河合 はい。実はこの曲は初めてアニメを想定して書いた曲だったんですよ。なので「それが採用になったんだ!」みたいな驚きもありましたね。
――サーフミュージック調の曲だったので、当時の学生ぐらいの世代には、一周回って新しいような感覚もあったと思います。
河合 やっぱりどうしてもバンドっぽい曲のほうが得意だったので、そんな僕が精一杯わちゃわちゃ感を出そうとしたら、勝手にサーフミュージックみたいなところに行き着いた……んですかね?(笑)。それに歌詞のインパクトもあって……詞曲が合致したといいますか。気付けばブンブン言ってるという中毒性を生んだ、斉藤謙策さんの歌詞が秀逸だったように思います。しかも僕、アニメのOP曲に採用されたのも初めてだったんですよ。なのですごく曲に合ったレトロな質感の映像を観て、「アニメのOPの絵って、こんな感じにもなるんだな」と二重にぶっ飛んだ記憶がありますね(笑)。
――河合さん自身としても、作家としてのターニングポイントはやはり『ぱにぽに』まわりの楽曲に?
河合 なりますね。あと『ネギま!』も含めてですけど、いろんなことをやらせていただいて……演歌も、音頭もありましたし……(笑)。そういうものを通じて、詞曲やアレンジにギターまで、全部勉強させていただきました。
――その他にもたくさんキャラソンを手掛けられていったなかで、特に印象深かったことはありますか?
河合 『金色のガッシュベル!!』の、詞曲とアレンジを担当した「ジャングルジムの決闘」という曲ですね。この曲はガッシュとナオミちゃんとウマゴンが公園で喧嘩しているという、サイドストーリーみたいなものを描いてほしいというオーダーのあった曲で、そのレコーディングがとても印象深かったんです。
――どんなことがあったんでしょう?
河合 レコーディングでガッシュ役の大谷育江さんが、「ガッシュがナオミちゃんにいじめられて、『あっ!』って言っちゃう声をひとつ入れませんか?」とおっしゃったんです。実際そのひと言が一発ポンって入った瞬間に、曲の中にはガッシュがしっかりいて……本当に一瞬で空気が変わって、「声優さんってすごいな」って感じて……語彙力がなくて恐縮なんですけど(笑)。その「キャラソンって、こういうことなのか!」という衝撃を受けた記憶は未だに残っていますし、この経験もその後の土台になっていると思っています。
第3回は、タッグを組む機会の多かった声優アーティストとの制作秘話や、アレンジを手掛ける際の心掛けなどについて語ってもらっています。次回もどうぞ、お楽しみに!
Profile
河合英嗣(かわいえいじ)。地元金沢で結成したVo&ギターユニット「BIIR(ビーツーアール)」で98年東芝EMIよりデビュー。 解散後、作詞・作編曲のコンポーザー活動を中心に、ギターリストとしてREC、LIVEと幅広く活動中。ROCK、ヘビメタなどのダンスミュージックなど様々な楽曲をPOPでスタイリッシュに作り上げる。
インタビュアーProfile
須永兼次(すながけんじ)。群馬県出身。中学生の頃からアニメソングにハマり、会社員として働く傍らアニソンレビューブログを開設。2013年にフリーライターとして独立し、主に声優アーティストやアニソンシンガー関係のインタビューやレポート記事を手がける。
Twitter:@sunaken